アメリカ独立、チュルゴー失脚の年に発表された『
国富論』はアダム・スミスに絶大な名誉をもたらし、イギリス政府はスミスの名誉職就任を打診したが、スミスは父と同じ税関吏の職を望み、
1778年にエディンバラの関税委員に任命された。著書は前記の2冊のみで、死ぬまでその改定増補に集中した。
1782年の母の死後は奇行が目立ち、税関職員の制服に身を包み、街を徘徊するようになる。
1787年には
グラスゴー大学名誉学長に就任し、
1790年にエディンバラで死亡した。享年67歳。収入の相当部分を慈善事業に捧げ、死の直前、草稿類をすべて焼却させたといわれる。
「公平な観察者」の視線から見て問題がないよう人々は行動し、他者の行動の適宜性を判断することにより、社会がある種の秩序としてまとまっていることが述べられる。このように社会は「同感」を基にして成り立っているため、社会は「慈善(beneficence)」をはじめとした相互の愛情がなくとも成り立ちうると論じた。