以下、主にプロのグループ・サウンズについての話だが、当時の音楽業界の一部は旧体制で、各レコード会社には専属の
作曲家・
作詞家がついており、プロの作家が書いた楽曲や、メンバーが書いたオリジナル曲でも、レコード会社に認められたものだけを
シングル曲として発表させられたケースがあったと言われる。そのため、
コンサート(リサイタル)などでは自分たちの好きな洋楽ロック等を中心に演奏し、シングル曲は絶対に演奏しないというポリシーを貫いたグループもいた
[エミー・ジャクソンの『涙の太陽』やブルーコメッツの『青い瞳(Blue eyes)』が、そうした旧体制を逆手に取った形で洋楽レーベルで発売され、それらが成功を収めて以降、旧体制は崩れ始めていて、GSのオリジナル曲は殆どの場合、メンバーと年齢のあまり変わらないプロの作家や、フリーの野良作家たちの作った (またはメンバー、スタッフなどと共同制作で作った) 楽曲であった。また、歌詞やメロディーなどを自己流にアレンジしているグループが数多く存在している。なおGSや歌謡ポップスより前の旧体制下では、歌謡曲側と和製ポップス側の交流は何一つ無い状態であった。]。
「グループ・サウンズ」という呼び名の定義があいまいな例として、例えば
ザ・ドリフターズなども
ジャズ喫茶で活動していたが、テレビ等が中心だったためか、GS以前の活動歴が長かったためか、または音楽性のためか、当時も現在もGSとは呼ばれていない。また年輩の記者などの中には
1970年代以降も、エレクトリックギター編成のロックバンド=グループ・サウンズと表現する人もおり、
1970年代中頃までにデビューした「
はっぴいえんど」や「
キャロル」、「
ツイスト」、「
甲斐バンド」などといったロックグループまでが当時「グループ・サウンズ」と一部の雑誌等で表現された事がある
[モップスやワイルドワンズ、フラワーズやハプニングスフォーなどは、1960年代末のGSブーム末期からニューロックのグループへと変貌を遂げている。また、PYGやフラワー・トラベリン・バンドなどの例があるので、グループ・サウンズに対する思い入れ等で、意図的にグループ・サウンズと表現した訳ではないと推測される。)]。