朝鮮500年の王都で、
四神相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、
新羅で「みやこ」を意味する「徐伐(ソボル)」が転訛した固有語である等、諸説いろいろあるがはっきりした語源は分からない。また、
漢字表記(漢城・漢陽・京城など)の変遷に関わらず、古来
朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われているが、これも必ずしも確証があるわけではない。いずれにせよ、「ソウル」は
朝鮮語固有の
単語であるため漢字表記は無く、通常は
ハングルのみで表記する。
ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、
1975年の680万人から
1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。これは
ドーナツ化現象が進んだためと見られ、日本の
東京が高度経済成長に伴って急速に拡大し、その後都心部の人口が減少していったことと状況が極めて良く似ている。ただ都市圏そのものは現在も拡大を続けていて、既に韓国全国民のおよそ5分の1がソウル市民、およそ半分が首都圏在住という状態になっており、日本以上の首都一極集中が進んでいる。
「漢陽(ハニャン)」は
新羅の時代から使われた名称で「陽」が
川の北側を意味することがあって、「漢水(
漢江)の北側の土地」の意味でつけられた
地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。高麗
文宗代に南京となり留守が置かれる。
忠烈王代の
1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の
1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。
中国大陸、
台湾など
中国語を使う地区では、「ソウル」に相当する漢字表記がないこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城といい、
仁川国際空港近辺などの韓国の
道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。ただし、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。
「京城」(日本語読みで「けいじょう」(
歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」)は
日本統治時代(
1910年 -
1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)
9月30日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「
京城府」となった(「府」は
日本内地(日本本土)でいうところの「市」に相当)。実際には1945年以降も数年間使われている。独立後の韓国では、反日・克日的な意識の強まりと共に「京城」は日本によって植民地時代に強制的に変えさせられた名称と見なされて、そのため「改正」されるべき呼称として認識された。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の
京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。しかし、これらの名称はこれらの企業がソウルが京城と呼ばれた時期に創業されて、企業名に当時の呼び名を当てられたが、その企業名が既に定着して、あえて名称を変えなかったことにもよる。
朝鮮日報の場合と同じだと考えられる。また、
京釜線、
京義線、
京仁線、
京元線、
京春線といった
鉄道路線名の「京」も「京城」から取られていると思われがちだが、これらの路線名は日本の統治時代前に付けられたものもあり、「京城」の名称よりも「みやこ」の意味からつけられたと見るのがのが妥当だと思われる。ただし、「
京釜高速道路」「
京仁高速道路」などは独立後に命名されたものであり、ソウルと
仁川の周辺を指す「
京仁地域」も独立後に発生した地域呼称である。