近世になると
大航海時代の幕開けにより、港湾都市では交易によって富を蓄積する者が現れ始めた。又
絶対主義の時代には、中央集権化により特に首都が経済的な中心となり、ここにも富を蓄積するものが現れ始めた。又近世における「重商政策」は彼らの成長を積極的に後押しした。彼らが市民革命前夜における「ブルジョワジー」である。当時の権力主体であった貴族階級、聖職者と都市の労働者、民衆、農民との間に位置付けられる、都市の裕福な商人を指してブルジョワジーというようになった。ブルジョワジーの中には巨万の富を蓄え、貴族入りするものや貴族に準ずる待遇を受けるものも現れ、新たな支配階級を形成しつつあった。
ここでブルジョワジーと呼ばれた人々は、
市民革命の主体となり、それまでの貴族や聖職者が主体であった体制を革命によって転覆させた。そのため市民革命をさして「ブルジョワ革命」とも言う。この場合の「市民」とは「ブルジョワジー」のことで現在の「
市民」という概念とは異なっている。現在の「市民」という概念に近い言葉としてシトワイェン(Citoyen)があった。
市民革命によって政治的な参加権を得たブルジョワジーの中には同時に進行していた
産業革命と結びついて「産業資本家」になる者が現れた。これによってブルジョワジーは
19世紀中頃から資産階級を指す言葉として転化した。
中華人民共和国ではブルジョワジーを「資産階級」としている。彼ら共産主義者から見た場合、打倒するべき対象となり、「ブルジョワジー」、「ブルジョワ」、「ブルジョワ階級」と言う言葉そのものが彼らにとっては蔑称となり、物理的に排除すべき対象となった。