後に反ケインジアンの筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職は
ニューディール政策が生み出したものであった。(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として
全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった。)
[The Boston Globe "[外部リンク] Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16]後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし
、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。しかし、第二次世界大戦が終わり連邦政府の職を離れるまでの経済学上の立場は一貫してケインジアンであった。
シカゴ学派のリーダーとしてノーベル賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。
マネタリストの代表者と見なされ、政府の
財政政策に反対する。政府の財政政策によってではなく通貨供給量と
利子率によって景気循環が決定されると考えた。また、
1955年には、
教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。頭の回転が速く議論好きで討論に長けていたことで知られる。主著は『資本主義と自由』。
シカゴ学派で学んだ
南アメリカの経済学者は多くが出身国で
自由主義市場経済を推進し、フリードマン自身も
チリの
ピノチェト軍事政権の経済政策に関与して、1975年にはチリの
サンチャゴでピノチェトと会談した。しかし、貧富の差の拡大や
失業率や
貧困率の悪化を理由に、その後シカゴ学派出身の経済官僚はピノチェト政権から追われた。他の南アメリカ諸国でも
反グローバリズム・
新自由主義経済反対の勢力が政権につくと同様な状況に追い込まれた。経済開発におけるシカゴ学派のマネタリスト・アプローチの政策的評価には賛否両論がある。
フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であり、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への規制は排除されるべきと考えた(
自由放任主義)。そのため、
新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在とされる。「新」が付くのは、ダーウィン主義に影響を受けた自由放任論からの脱却として現れた、
ニューリベラリズム(New Liberalism)に基づく
ケインズ経済学を、再び古典的な自由主義の側から批判する理論だからである。