半年程度で現地の指導的立場となり、全中国に情報網を持つに至った。活動は漢口、南京、広東、北京、満州などを中心にして行われている。ゾルゲ自身も各地を巡り、中国および日本の政治、歴史、文化に関する書物を読み、両国の言葉も学習し、アジア問題に通じるようになった。
当時日本におけるドイツ人社会で、日本通かつナチス党員として知られるようになっていたゾルゲは、駐日ドイツ大使館付
陸軍武官補から駐日ドイツ
特命全権大使に出世した
オイゲン・オットの信頼を勝ち取り、
第二次世界大戦の開戦前には最終的に大使の私的
顧問の地位を得た。彼は来日前にオットの戦友である「テークリッヘ・ルントシャウ紙」の論説委員のツェラーの紹介状を入手していた上、政治的逃避のため日本に派遣されることになった当時のオット中佐は日本に関する知識をほとんど持っておらず、そのため日本の政治などに関して豊富な知識を持ったゾルゲとの出会いを喜んだ。