同年の秋、監督の
長嶋茂雄の辞任、
王貞治の引退、そしてドラフト会議で中畑と同じ3塁のポジションの
原辰徳の入団の出来事が起きた。ここでポジションの問題が発生するが、新監督の
藤田元司ら首脳陣は当初中畑3塁・原2塁の構想を持っていた。しかし、中畑がシーズン途中でケガで戦線離脱し、その間に原が3塁へ、2塁に
篠塚利夫が入り、高打率を記録した。そして中畑は戦線復帰すると
一塁手に転向。中畑の怪我のおかげでポジション問題が解決されたと評された。この年巨人は1973年以来の日本一を奪回し中畑も.322、16本塁打66打点と活躍した。
引退後は日本テレビ・
スポーツニッポン野球解説者を経て、
1993年から2年間巨人で第二次長嶋政権で打撃コーチに就任したが、93年はチーム全体でリーグ最低打率に終わりコーチとしての指導力を問われた。また、
駒田徳広は横浜へのFA移籍にあたり中畑との確執が噂された事や、中畑よりも打者としての実績が格上である
落合博満がFAで入団したことにより存在感を出すことが出来ず、コーチとしての評価は高くないまま終わった。それでも
1994年には1塁ベースコーチを担当しムードメーカーの役割に徹して
日本一に貢献し、同年オフに退団。その後は再び日本テレビ・スポーツニッポン野球解説者として現在に至る。