その後、
世界恐慌などの影響で宇宙開発の研究は資金不足に陥る。宇宙旅行協会も
1934年には散会するが、
ドイツでは
1929年に陸軍兵務局がロケット兵器の開発に着手し、協会にも所属していた
ヴェルナー・フォン・ブラウンやオーベルトらが中心となり、
1942年には
液体燃料を使った
ロケット兵器の開発に成功。
第二次世界大戦においては
V2ロケットなどが実戦でも使用された。大戦におけるドイツの敗色が濃厚になると、フォン・ブラウンらロケット技術者はアメリカへ投降し、原子爆弾の開発でアメリカに遅れをとっていたソ連も科学者やロケットの実物や資料などを接収し、ドイツで培われたロケット技術は戦勝国へ引き継がれた。
第二次大戦後には、米ソ両国が
冷戦状態になると、国家的プロジェクトとして弾道ミサイルや人工衛星など、軍事的利用が可能な技術の研究が競われる
宇宙開発競争となる。人工衛星の実現による通信網の拡大は民間事業においても期待されており、アメリカは海軍主導の
ヴァンガード計画に基づき
1955年7月に、ソ連は8月にそれぞれ人工衛星の打ち上げを宣言。アメリカが技術的問題に直面しているなか、ソ連は
1957年10月に人工衛星
スプートニク1号、11月には犬を乗せた
スプートニク2号に成功し、アメリカに対して技術的優位を見せ付ける。アメリカは12月にヴァンガード1号の打ち上げを実行するが失敗し、ソ連の衛星打ち上げの成功はアメリカの安全保障を脅かすと懸念され、
スプートニク・ショックが走った。アメリカではヴァンガード計画を改め、
1958年には
NASAが設立され、1月にはジュノーI型の打ち上げに成功した。