オイルショックで
原油価格が高騰したことで日本経済は大きな打撃を受けて
1974年には、戦後初めて経済成長率がマイナスとなった。これにより
1950年代半ばからの
高度経済成長は幕を閉じ、バブル崩壊までの
1991年まで経済成長率は
1975年から5%前後となり、安定した経済成長が進んだ。
1980年代には自動車や電機製品の輸出が増加し、アメリカなどと
貿易摩擦が発生した。その後の貿易摩擦の解消のための
プラザ合意で円高が進み不況が到来した。
日本銀行は低金利政策を実施し景気回復を図ろうとしたが、あまりの金融緩和で地価・株価が高騰し始め、
バブル景気が発生した。その後、1991年にはバブルが崩壊し安定成長の時代も終わり低成長の時代となった。
オイルショックにより鉄鋼や造船、石油などの重厚産業は低迷しこれらの産業では構造不況と呼ばれる不況が到来した。重厚産業が低迷する中でエネルギーをあまり消費せず付加価値の高い自動車や電気製品、半導体などが発達した。またサービス化やソフト化が進行し情報処理産業やレジャー産業など第3次産業が発達した。
アメリカの高金利政策によるドル高・円安の進行や日本製品の高品質さを背景に日本は
欧米への
自動車や
電気製品、
半導体などの輸出を伸ばし日本の貿易黒字は増大した。しかし、あまりの輸出増大により欧米との
貿易摩擦が発生し国際問題にまで発展した。特にアメリカとは何度も貿易摩擦が問題となった。
円高不況を乗り切るため日本銀行は公定歩合2.5%に引き下げ大幅な金融緩和を行ったことで資金調達が容易となり過剰な
流動性が発生した。それにより日本では多額の資金が株や不動産に流れ大幅な地価・株価の高騰が発生した。また円高を背景に日本企業による海外企業や不動産などの買収も進んだ。しかし
大蔵省による土地関連融資の規制や公定歩合の相次ぐ引き上げなどから地価や株価は暴落し
バブル景気が崩壊した。同時に安定成長期も高度経済成長期とほぼ同じ期間であった約18年間で終わりを迎え、以後は
21世紀に突入後の
2002年まで「
失われた10年」と称された平成不況期となった。