山口県吉敷郡山口町八軒家(現在の
山口市)に、山口県庁
官吏であった佐藤秀助と茂世(もよ)夫妻の第5子(次男)として生まれる(
本籍地は
熊毛郡田布施町)
[信介が物心ついて、田布施の家で、冬の夜など、兄弟姉妹が炬燵をとり囲んで、雑談などしている時、信介少年は自分だけが山口の八軒家で生まれたということにより、ちょっと仲間はずれになったような感じがしたこともあったという(吉本重義著『岸信介傳』19-20頁)]。信介が生まれた時、曽祖父の
佐藤信寛もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字をとって「信介」という名が付けられた
。数え年3歳になったころ、一家は田布施に帰郷し、
造り酒屋を営む。佐藤家には酒造の権利が昔からあった。その権利は他家に貸していたものだったが母茂世(もよ)が分家するに当たって酒造の権利をとりもどして茂世(もよ)にあたえられていた。秀助、茂世(もよ)夫妻は、本家のある田縫のすぐそばの岸田で酒造りに従事した。
[『正伝 佐藤栄作(上)』 23頁]
農商務省へ入ると、当時商務局商事課長だった同郷の先輩、
伊藤文吉(元首相
伊藤博文の養子)から「外国貿易に関する調査の事務を嘱託し月手当45円を給す」という辞令をもらった。同期には
平岡梓(作家・
三島由紀夫の父)、
三浦一雄、
吉田清二などがいたが、入って間もなく、岸は同期生およそ20名のリーダー格となった
[『岸信介傳』 78-80頁]。