広義には、
人間が相互の恒常的な自由と秩序・安寧・平安などを実現・維持している状態で、これを脅かす全ての暴力がない状態を言う。例えば、具体的な戦闘が終結しているような場合においても、
地雷などが依然として埋まっているような土地では、生活に対する危険な状態が継続していると言えるため、完全に平和になったとは言いがたい。
また、明確な危険が存在しない状態であっても、
差別・
貧困・
飢餓・
疾病・
教育格差・
情報格差などが存在している場合は、やはり人間の自由が脅かされていることに変わりはない。このような行為主体が明確でない暴力を
構造的暴力ととらえ、これらの無い状態を平和とすることもある(平和学における積極的平和)。大きな
災害も秩序を喪失させることが多いため、これも平和の対極に置く考えもある。
憲法学などの授業で使用する解釈として「
武力による平和」と「
武力なき平和」がある。「武力による平和」は武力の行使を「国防・自衛・狭義の
安全保障」とする解釈である。これは最低限の武力を持ち必要に応じて行使することで平和を保とうという考え方であり、泥棒などの犯罪者が地域や家屋に侵入すればしかるべき装備で撃退するのは当然だという考え方に基づいていると言える。「武力なき平和」は「武力があるから戦いが起こる」とする解釈である。
世界大戦をはじめとするかつての戦争の大半が「自衛」を口実とした
侵略戦争だったことに基づき、全ての人々が一斉に武力を放棄することで平和を保とうという考え方である。しかし「武力」とは相対的なものである。現在武力とされているものを撤廃すると、現在のところ武力となりえないものが新たな武力して浮上する。銃は刀剣となり、刀剣はナタや包丁になり最終的には自らの拳さえも武力となるだろう。このような武力撤廃を繰り返した先に到達する「武力のない状態」というものがどのような状態であるのか示した具体象は提示されてはいない。
大量破壊兵器を廃棄対象に限定するという考え方もあるが、
反核運動の現状が示すように、これについても全世界的な廃棄に至る実効的プロセスは提示されていない。
人類は歴史において継続的に争ってきた。史料が残っている6000年以内に発生した
戦争だけに限ってもその回数は15000回以上であると考えられており、またドイツ社会学者のソローキンによれば
12世紀から
19世紀の間*
大量破壊兵器の拡散は
核兵器の開発技術、
核物質、技術者が世界規模に拡散し、また比較的製造が簡単な
生物兵器や
化学兵器が世界各地に流通することであり、
テロと結びつけば
治安が大きく破壊される。また積極的な軍事攻撃を方針とする国家に渡れば、
軍事力の不均衡をもたらす可能性がある。