1939年8月に釈放後失職中であったため、父が
1935年から編纂を進めていた
国語辞書『辞苑』の改訂作業に
1940年より参加。岡書院店主
岡茂雄の提案による。初めは外来語担当であったが、編者の息子であることに乗じて国語項目の書直しや百科項目の拡大を父より叱責を受けるほど行ったため
[岡茂雄『本屋風情』-「他とのバランスを考えて手を入れるようにと、私の言葉として伝えてくれたまえ」]、
1941年に予定されていた改訂版刊行は頓挫した。
1945年に15万語の原稿を完成させたが、出版社の工場や倉庫が空襲により被災、改訂作業も中断となった。