創刊当時から
プロレスを大きく扱い、他に
競馬・
風俗関係の記事に強い。
1980年代半ばまで赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られた(ただし
力道山が嫌ったためか、彼の死後も長年
女子プロレスは扱わず、1面に来るのはたいてい男子プロレスの記事であった)。それは夕刊紙であるが故に
野球などの記事での試合速報は他社と勝負にならない(他の夕刊
タブロイド紙は球界内部の事情などが主)ことと、プロレスは八百長疑惑もあり他のほとんどの新聞が扱わなかったためであった。その後「紫色のにくい奴」(
夕刊フジの「オレンジ色のニクイ奴」にあやかって?)「リングを染める鮮血の赤から、王者の風格の
パープルへ」をキャッチフレーズに青紫の見出しの紙面に刷新。
1986年、元横綱
輪島大士が
全日本プロレス入りすると同時に他のスポーツ紙もそろってプロレス報道をするようになり希少価値を失う。1988年、
新日本プロレスがゴールデンタイムに放送されなくなりプロレスがマイナー化すると、芸能
ゴシップなどが1面に掲載されることが多くなる。1991年4月、
ビートたけしが客員編集長に就いてからは、
浅草キッドから「
日付以外は全て誤報」
[新聞は翌日付で発行されている。]と言われるほど娯楽性を重視しており、「“ガセ”の東スポ」という異名も持つ。
TBS『
アッコにおまかせ!』では「“エキサイト新聞”東スポ」と称される。