中国・
東晋の
葛洪の著作『
抱朴子』内篇(地眞篇)には「經世濟俗」という語が現れ、經世濟民とほぼ同義で用いられている。時代がやや下り、
隋代の
王通『
文中子』礼楽篇には、「皆有經濟之道、謂經世濟民」とあって、「經濟」が經世濟民の略語として用いられていたことがわかる。さらに後代の『
晋書』
殷浩伝(
唐)、『
宋史』
王安石伝論(
元)などにも「經濟」が現れるが、以上はもちろん政治・統治・行政一般を意味する用法である。清末、
戊戌の政変後、従来のような儒教的教養によらず学識ある在野の有為な人材を登用するために新設された
科挙の新科目「
経済特科」も、この用法によるものである。
明治期になり欧米から
近代的
経済学が導入されると、
神田孝平『経済小学』などにより、「經濟」もしくは「經濟學」が英語の「political economy」の訳語として用いられるようになった。この結果、經濟(経済)は、従来からの「貨殖興利」という用法もあいまって、economyの訳語として理解されるようになり、「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国(
清)にも翻訳を通じて逆輸出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。