小泉個人は「
構造改革なくして景気回復なし」と発言しており、郵政民営化や企業法整備などの日本国内の供給面での構造改革を通じた拡充と安定が日本経済の回復にも貢献すると考えていた。しかし、首相就任以前に会合で経済評論家
植草一秀と政策を巡り激しい口論となり、その会合で植草は、小泉の「構造改革」が実行されれば
日本経済は破滅的結末を迎えると警告した。しかし小泉は頑に拒絶し「構造改革」を実行することになる。
小泉はこうした構造改革に反対する議員達(後には、改革に反対する官庁なども含まれるようになる)を
「抵抗勢力」と呼んだ。この抵抗勢力はあくまで小泉からの呼称という性格が強く、その議員や諸勢力が小泉と妥協する、あるいは小泉に屈服すると、小泉は「抵抗勢力が考えを改めて改革勢力に転換した」と称賛することもあった。郵政民営化に反対した
亀井静香などは抵抗勢力の中心人物と目され、
国民新党の結成と自民党からの除名へ発展した。ただし、自民党の
政務調査会長時代の公共事業の大幅削減実施や、
運輸大臣としての道路公団入札改革などでは小泉による改革を先取りしていた。また、「抵抗勢力」と称された議員や諸団体の多くはこの用語を「小泉による
レッテル貼り」として嫌う傾向があるが、亀井の場合はむしろ肯定的に受け入れ、自分こそが「真の改革派」と反論するために利用する場合もある。
また、公共事業の削減によって生じた国庫負担の削減分は、金融機関の不良債権処理等、金融セクターにおける私企業の救済に充てられており、利権が建設族から金融族に移行したに過ぎないとする意見も強い。