もともと自由貿易は、産業資本家の要請を受けて展開された。19世紀初頭のイギリスでは
穀物法や
航海法によって国内市場を保護するとともに、貿易による利益が一部の特許会社に独占されていたが、これに対して産業資本家から批判の声が上がった。直接的な理由としては国内産小麦を保護することによって、パンの価格が高くなっている、というものであった。スミスやリカードら経済学者や、
コブデン、
ブライトなどの
マンチェスター学派によって唱えられたこの主張は国内に広く支持され、国内市場を保護しないという方針は19世紀イギリスの基本政策となった。一方で貿易相手側の自由貿易、つまり相手国に市場を保護させないという点については、
ドイツ関税同盟の例があるように徹底することは難しかった。非ヨーロッパ地域では清朝に対する
アヘン戦争、
アロー戦争のように、自由貿易を強制することも可能であったが、ドイツやアメリカに対して武力で自由貿易を強制することは不可能であった。これに対し、イギリス産業界からは保護関税の導入を求める声が上がったが、導入には至らず、イギリスは結局、ブロック経済まで一方的に自由貿易を展開することになる。イギリス以外の中核国では、イギリスに対抗し自国産業を育成するために保護関税が導入され、早くに自由貿易は衰退している。
1930年代、
世界恐慌の猛威にさらされた自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など
列強とその
植民地)は、自国経済圏における需要が貿易によって漏出し、他国経済圏へ流れるのを防ぐため、関税などの
貿易障壁を張り巡らした。これは
ブロック経済と呼ばれる。自由貿易の途絶により、各国の経済回復の足並みがずれて、経済的な不利益が多大に生じた。