高校卒業後、
山崎製パンの宣伝部員として入社するもやがて退社。週刊誌でアニメーターの記事を読み、
アルバイトのつもりで入社した
TCJ動画センター(現
エイケン)でアニメーター生活をスタートし『
冒険ガボテン島』でデビューを果たす。放映終了後に同じ制作会社の『
アルプスの少女ハイジ』のTCJ版パイロットフィルムで、キャラクターデザインに抜擢されるもののパイロットフィルムの制作が終わってしばらくして企画自体が頓挫する。その後はテレビアニメ『
忍風カムイ外伝』の作画を行う。しかし後番組の『
サザエさん』の作画を行なうことに疑問を感じて
手塚治虫が創設した
虫プロダクションへ移ったが虫プロダクションの経営状態は思うように良くならず『
ムーミン』『
ワンサくん』といった作品を終えると間もなく倒産し(
1973年11月)、芦田はプロデューサーの
西崎義展ら虫プロダクションのメンバーを中心で制作したテレビアニメ『
宇宙戦艦ヤマト』(
1974年)に
作画監督として参加する。『宇宙戦艦ヤマト』は後に大ヒットし、芦田の存在が目ざといアニメファンに注目されるきっかけになった。この仕事を終えるとフリーでやっていく力がないとして、
1976年に作画スタジオの有限会社スタジオライブを設立。以後は同社を拠点にアニメーション制作へ関与していった。